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海士町の魅力

CASシステム

海士町から世界へ

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海士の魚は美味しい。仕事に行く前や仕事が終わってから、釣り竿片手に今夜の夕食を釣りに行く。島の魚は海を越え、都会の食卓に上がるまでにどんどん質が落ちていく。
そこで海士町がめをつけたのがCASシステム。磁場エネルギーで細胞を振動させることで、細胞組織を壊すことなく凍結させることができる。解凍しても通常の急速冷凍物のようなドリップなどは一切流出せず、解凍後もとれたての味をそのまま食することが可能になる。5億の設備投資をし全国の自治体として初めて導入。島の運命を賭けた一大プロジェクトだった。見事に成功し東京、大阪のレストランや料亭を中心に顧客を増やし、今では上海やドバイなど海外からの注文も受けている。海士町の食卓が世界で再現できる、それがCASシステムである。

伝統

受け継ぐもの

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隠岐島は、古事記によるとイザナギとイザナミの国産みにより淡路島、四国に続き3番目にできた島と言われている。古くから海産物の宝庫として知られていた海士町は日本各地と交流があり、平城京跡からは海士産の最高級干し鮑が献上されたことを記す木簡が発見されている。1221年には承久の乱で破れた後鳥羽上皇が配流。いわば海士町最初のIターンであり、島民からは「後鳥羽さん」と呼ばれ今も愛されている。1939年(昭和14年)には後鳥羽上皇をまつるため隠岐神社が建立され、島民にとって大切な場所となっている。文豪;小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も海士を訪れ、菱浦港を鏡浦と名付けた。隠岐諸島にはさまざまな民謡があるが、しゃもじを持って踊る海士町の民謡「キンニャモニャ」は、すべての島民が踊れると言っても過言ではなく、毎年8月に島民のほとんどが参加する「キンニャモニャ祭り」が開催される。

Iターンの島

「挑戦する島」「挑戦させてくれる島」

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海士町には全国から人が集まってくる。目的はそれぞれで、休みにくる人、働きにくる人、ひらめきを求める人、学びにくる人、移り住む人も多い。島の人は思っている「こんな何もない島に何で来るのだろうか?」と。
2004年~2012年の9年間で、361 人のIターン者が海士町に定住している。(町の人口が約2300人なので、人口の10%を超える割合がIターン者だ)定着率は6割ほどだが、ほかの中山間地域に比べると高い割合だ。
例えばIターンで作っている島の会社(株)巡の環では島で企業研修を行っており、味の素やサントリー、イオン、リクルートなど一流企業が活用している。講師は島民、教室は縁側や田んぼだったりする。この島には教育・産業・観光・福祉・地域づくり・行政のトップレベルがそろっている。それぞれの分野が一流の挑戦をして、繋がっているのだ。「挑戦する島」「挑戦させてくれる島」である海士町に惹かれて全国から人が集まってくる。自然と島民、挑戦者が繋がる島,みんなが口をそろえていう「面白いことをただやり続けているだけ」だと。

雄大な自然

自分も自然の一部という事を感じる

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島全体が大山隠岐国立公園の一部に指定されている自然豊かな地域だ。海士町は固有の生態系を持ち、ここでしか見ることの出来ない植物や生物も多い。地球の成り立ちが見える海岸は、ユネスコ世界ジオパークに認定されていて壮大なスケールだ。ここで生活していると自然の優しさや温かさ、強さや怖さを実感できる。夜は都会では味わえない暗さを感じ、それ故空に散らばる無数の星たちを望むことができる。風が強ければ、雨戸を閉めておさまるのを待つだけ。天気がいい日はみんなで外に出て畑仕事をする。僕たちは自然の中で生きている。離島だが水に恵まれ、天川の水は日本名水百選に選ばれている。その水でできる田園風景は子供たちのために残したい風景である。

生き生きと死ねる島

「わがとこ」でいつまでも暮らせるために

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「わがとこ」でいつまでも暮らせるために。
 入院施設がない島で、「最期まで生まれ育った島で生き生きと暮らしたい」という当たり前の思いを叶えるために。
島根県内で平均寿命が男女ともトップな海士町での死亡率は7割を越えています。これは住民同士のつながりと当たり前に存在する包括ケアシステム、それと「生き生きと死ねる島」を目指す福祉人の覚悟によるものです。最期まで看取りをする特別養護老人ホーム、24時間365日往診可能な診療所、ゆりかごから墓場まで健康管理を行う保健師、「福祉×(   )」というキーワードで住民を巻き込み生涯現役の島づくりをする社会福祉協議会。この最強チームが島を守っている。時には喧嘩したり、酒を飲んで仲直りしたり。島民の暮らしために、ひいては島存続のためにとみんなが同じ星を目指している。

観光

ただ海沿いを歩けばわかる

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本島からフェリーで3時間、海士町の港に降り立った時に「普通の島だな」と感じると思う。リゾートホテルが建ち並んでいない。何キロにも及ぶ白い砂浜があるわけでもない。賑やかなお土産屋があるわけでもない。何でこの島に人が来るんだろうと思うはずである。その疑問を解決するのに10分もかからない。港をでて海沿いを歩けばいいだけだ。商店のおばちゃん、通学中の子供たちから「こんちには」「どこからきたの?」と声がかかる。それは究極のホスピタリティ、海士の日常への招待である。島宿に泊まれば、朝どれの魚介類と畑で採れた野菜、海士の酒、女将の民謡と踊りでもてなされる。隣にいるお客と一緒になって酒を酌み交わす。交流が生み出す至福のひとときだ。出会った人に送られ島を離れるとき、笑顔と涙があふれてくる。

教育

超地球規模高校

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廃校寸前だった。定員割れ、1クラスを維持するのもギリギリだった。中学卒業したら親元離れて本土の学校に行くことになると島民もあきらめていた。
しかしながら隠岐島前高校では今、受験倍率が2倍。毎年島外から30名以上の島留学生が入学する。全学年2クラス、180名が在籍している。早稲田大学や法政大学など有名私立校に進学する生徒もいる。2007年からはじまった「島前高校魅力化PJ」地域に根ざしたキャリア教育はグローカル教育に発展し、ローカルで生きる力をつけ、グローバルな視点を持つグローカル教育に発展。2015年からsuper global highschool に指定され、シンガポールと協定や、ロシアやブータン、マレーシアとの交流も行っている 公立の隠岐國学習センターは学習のフォローはもとより「夢ゼミ」というキャリア教育、ITを使った遠隔授業や交流も行っている。

再生までの道のり

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「島が国の管理下になるかもしれない」そんな噂が流れた。
これ以上借金が増え人口が減ると2008年には「財政再建団体」と呼ばれ、国の管理下になってしまう。人口問題研究所は2014年には人口2,000人を切ると予想した。平成の大合併で国は合併したらお金の援助をすると提案してきたが、海士町が出した答えはNOだった。
それから海士町再建に向け徹底的な行財政改革を行いました。町長自らの給料を50パーセントカットすると、役場の管理職も自ら給料カットを進言してくれました。さらには各団体も協力し島全体が揺れた。
「やってやろうじゃないか!」島が1つになり協力することで、すべての危機的データを覆し海士町は人口2300人を維持しています。平成27年の国税調査では平成22年から5年間で20名しか人口減少しなかったとのデータがでた。強力なリーダーシップと「自立・挑戦・交流」が海士町のスローガンだ。

ブランディング

「地産地消」ではなく「地産地”商”」

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財政再建団体の危機に陥った海士町が行った施策が「地産地商」。海士町のいい素材でいいもの作って、それを売ろうという事だった。そのために行った徹底的なブランディング。勝負するなら東京、売るなら高級なもの。まず手がけたのが「サザエカレー」だ。島で当たり前に食べられていたサザエカレーを外に発信するために肝を使い独特の風味のレトルトカレーを開発。有名デザイナーにパッケージのデザインを頼み見栄えを良くした。ボンカレーが160円の時代に1個550円で売った。海士町のサザエを使っているのだからこの値段が当たり前とかなりの上から目線で挑戦、今では年間2万食売れているヒット商品だ。また、島で生まれ、島育ちの黒毛和牛で日本食肉規格でA-4 A-5ランクをつけられたものだけが島のブランド牛「隠岐牛」と呼ばれる。銀座に専門店を出し、高級料亭に出荷している。他にもそういった商品が数多くあり、島から売るものは常にブランディングを意識している。

海士の食事

地球を食らう

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魚屋に行って「今日は何が入ってる?」「いいイサキが入ってきたよ」「もう、イサキの季節か」都会ではなかなかできない会話だ。
海士ならではの伝統の調味料で、旬の食材そのものを味わう。そんな海士ならではの食事を堪能する方法は3つある。
ひとつは「あまごはん」というレシピ本を手に入れて、自分で作る。もうひとつは島のおばあさんと友達になって、おすそ分けをもらう。最後に島の食材に惚れ込んだプロの料理人が作った料理を島のレストランや居酒屋で食べる。
東京・神楽坂の「離島キッチン」は、都内にいながらにして海士の食材が味わえる貴重な場だ。海士町の食材や料理はもちろん、全国各地の離島から取り寄せられた食材をいかした料理や土地それぞれの酒が楽しめる。